隣のことには無関心、これが現代の近所づきあいの常識のようです。うっかり世話して、迷惑がられては困る、そう考えている人が多いのではないでしょうか。

 

 高層マンションやアパートにご回向に出かけ、部屋の番号さえはっきりしていれば、目的の家がすぐに分かるものの、間違えば隣の人に尋ねても分からないということがしばしばあります。昔は「向こう三軒両隣り」といって、自分の家と隣あわせた二軒と道路を挟んだお向かいさん三軒は親しくすべき間柄という考えがありました。だから何かといえば話し合い、助けあうのが常識だったようです。でも、仲がいいからといってトラブルがなかった訳ではありません。好意のつもりが悪意にとられたり、出過ぎた真似をと思われたりすることもあったようです。

 

 しかし、人生は体験から学んでいくもの。以前、大山のぶ代という女優さんが幼い時のこんな思い出を話していました。彼女は、毎朝、家の前の道路を掃除するのが、日課でした。昔の子どもは、よく家のお手伝いをしたものです。

 

「のぶ代ちゃん、掃除する時には、自分の家の前だけでなく、お隣の家の前も三尺くらい掃いておくのよ」お母さんにこう言われて、のぶ代さんは隣の前も少しだけ余分に掃いていたのです。「そうすれば、お隣のおばあちゃんも、少しだけ余分にこちらを掃いてくれるから、お互いの家の境目にゴミがたまることがないでしょう」こう聞かされて、なるほどなと思っていたのです。

 

 ところで、ある朝のこと、ちょっと早起きしたのぶ代さんは、お隣がまだ起きていなかったので、二軒分、全部掃除したのです。今日はいい事をしたなと思った彼女が、その事を報告すると、お母さんは困ったなという顔をしました。どうして、そんな顔をするのだろうと、のぶ代さんは不満でした。でも、その答えは明くる朝、出たのです。今度は自分の家の前まできれいに掃除されているではありませんか。はりきって表に出たのぶ代さんは、なんだか悲しくなりました。そして昨日は、隣のおばあちゃんがこんな気持ちだったのかなと思ったそうです。「隣の三尺って、実に難しいんですよね。でもお互いに関心を持ったからこそ、相手の気持ちが分かり、近所づきあいのマナーも身につくのだと思います」そう語るのぶ代さんの言葉から、私は改めて、たとえ失敗しても、助け助けられることを知ることが私たちの社会には必要だと感じたのです。