若い時の話です。お盆の忙しさが過ぎた頃、私の両親は、1週間ほどお寺を留守にしました。
こんな長い間、そろってお寺をあけるなんてはじめての事で、両親は、私に留守をまかせて大丈夫か心配だったようです。私にしたって「大丈夫さ、子どもでもあるまいし、心配しないで行っておいでよ」と、大口をたたいたものの、内心は、「うまく親父のかわりが出来るかなぁ」と心細くなる始末です。だって、お寺はなにかと大変なんです。朝6時の鐘つき、朝のおつとめ、毎日のお経まわり、それに大勢の人が、悩みや心配事を相談に来ます。それにも対応しなければなりません。
まあ、そうこうしている内に、1週間も無事乗りきって、両親の元気な顔を見たときは、ホッとしたというのが、正直な気持ちでした。
お釈迦様の説かれたお経の中に、次のようなお話があります。
ある所に、1人の医者がいて、その人にはたくさんの子どもがいました。ある日、その医者が留守をしている間に、子どもたちは、誤って毒を飲んでしまいました。やがて帰宅した父は、子ども達の苦しみを見て、急いで毒けしの薬を作りましたが、助けてくれとすがるだけで、なかなかその薬を飲もうとしません。なんとか子どもたちの甘えた気持ちを捨てさせなければと考えたその医者に、1つのアイディアが浮かびました。彼は子ども達に、「用事で遠くに旅立たねばならない」と告げて家を出たのです。そして、使いの者に、父は旅先で死んだと伝えさせました。それを聞いた子ども達は、「もう、お父さんはこの世にはいないんだ、それならお父さんが残してくれたこの薬を自分で飲むしかないんだ」と気がつきました。毒けしを飲んだ子ども達は、間もなく苦しみから逃れる事が出来たそうです。そして、父も家に帰り、元気になった子ども達と楽しく暮らすことが出来ました。
よく世間では、親が亡くなって、やっと1人前になるといいます。この話も、そんな真理を教えてくれているのでしょう。
たった1週間でしたが、両親が居ない時にはじめて、自分がしっかりしなければと気づいた、当時の私だったのです。