他人に、馬鹿にされたり、自分のことを軽く見られると無性に腹の立つのが私たちです。そんな時、思わず口にするのが「俺のことをコケにしやがって」というセリフ。
では、このコケという言葉には、どんな意味があり、一体どんな字を書くのか?今日は皆さんと、それを考えてみたいと思います。ひょっとしたら、コケをあの古い岩や木や湿った所に生えている「苔」ではないかと思っている人もいるかもしれません。でも、それは間違いです。コケは「虚しい」という字と「仮り」という字を組み合わせて出来た言葉で、元々は仏教用語です。だから本来の意味は「真実ではない仮りのもの」となるのですが、いつの頃からか転じて「馬鹿な奴、おろか者」という意味として使われるようになったようです。
ところで、この「虚仮」という言葉が出て来る一番古くて一番有名な言葉は、聖徳太子の遺言です。20歳の時、日本最初の女帝、推古天皇の摂政として、国の政治を司った太子は、49歳でこの世を去るまで、1日として気の休まる時がありませんでした。それは、いくつもの部族が権力の座を争い、他人を蹴落としてでも、自分の天下を狙おうとしていたからです。そのために太子は仏の教えによって国を治めようと考えました。その理想の中から生まれたのが十七条憲法です。その第一条には「和を以って貴しとなせ」という言葉があります。人々が仏の教えのもとに心を合わせれば、きっと争いのない世の中になる。太子はそう信じていたのでしょう。しかし、その願いとほど遠い現実、それ故死を迎えて太子が口にした言葉が「世間虚仮」という悲しい言葉ではなかったかと思うのです。「いくらこの世に執着しても、この世は仮りの世、己が欲望に駆られ争いをくり返すことは虚しいことである」と最後の最後まで訴えたかったのではないかと想像するのです。太子の誠実さと聡明さを見抜き、摂政に押したのは蘇我馬子という人でした。
しかし、太子の死後20年、太子の一族を亡ぼしたのは、馬子の孫の入鹿だったのです。そしてその入鹿も又、次の権力者によって亡ぼされます。
和という心を失った人間の悲劇、権力闘争の虚しさを、太子は何よりも教えたかったはずなのに、そこで、最後に続く太子の言葉「唯仏是真」ただ仏さまの世界のみが真実の世界であるという言葉が大きな意味をもっています。自分がコケにされたと腹を立てるより、なぜこの世がコケであるのか、その意味を考えてみたら、気持ちもおさまるのかもしれませんね。