早いもので、父が亡くなって来年で十七回忌を迎えます。

 

論語に、「父居ませば、その志を見、父没すれば、その行いを見る」という言葉があります。先代住職だった父は元気な頃は、いろんな夢を語ってくれたものでした。その父があの世に旅立った今となっては、在りし日の姿を思い浮かべながら、私に教えたかったことは何だったのだろうかと推測する他はありません。

 

 父は怒鳴り声をあげたり、手を振り上げるような人ではありませんでした。檀家の人たちも、「ご前さまは、いつもニコニコされていましたね」と、その思い出を語ってくれます。でも、私にいわせてもらえるなら、父は、そのニコニコ顔の下に結構、ズキンと心が痛むような厳しさを持ち合わせていたのではないでしょうか。

 

 あれは、私が大学を卒業して、お寺に帰って来たばかりのことでした。本堂で朝のお勤めを済ませた父の足音が聞こえてきても、当時の私は、まだ布団の中。しばしば、母からは、「あんたも早起きして、ちゃんとお勤めをしなさい。そうでないと、お父さんの後は継げませんよ」と叱られたものでした。

 

 母のいうことは、頭の中では十分にわかっているつもりでした。でも、遊びたい盛りです。三日坊主という言葉がありますが、「よし」と決意してもその後が続きません。そんなある日、父と母が言い争っている会話を耳にしてしまったのです。

 

 「あなたが甘いから、あの子は一人前にならないのですよ」という母の言葉に、「ガミガミいっても逆効果。ワシの教育方針は、本人が気づくまで辛抱して待つ。それが法華経の教えなのだから」と父が言った言葉を聞いて、思わず、「親爺は偉い!」と思いました。

 

 ところが、それから日ならずして、父から、「本堂のお供えが古くなっているから下ろして来ておくれ」という用事をおおせつかったのです。私は、すぐにお供えを下ろしました。すると父が、「ご苦労さん」といった後、「おや、これだけかい」と言ったのです。私が首をかしげると、「横の花もくたびれていただろう。あれも下ろしてほしかったんだがな」と物足りなさそうに言いました。「それなら、そうと言えばいいじゃないか」と反発すると、「そうだよな。ワシが悪かったな。いや、すまん、すまん」と笑ったのでした。でも、あの笑い顔には、寂しさがあったなと、今になって思うのです。

 

 父はよく、「声なき声を聞きなさい。それが坊さんの心がけだよ」と語っていました。その声なき声が、近頃では、よく聞こえてきます。

 

 お経の中には、悲しみの涙を流した後、「心遂醒悟 しんすいしょうご」といって、「心に目覚めが訪れる」という意味の言葉があります。朝のお勤めの最中、「お前も、だいぶ分かってくれるようになったね」という父の言葉を耳にするような気がするからです。