「和と以って貴しと為す」

 これは聖徳太子の作られた十七条憲法の中に出てくる言葉です。仏教の篤い信者だった聖徳太子は、その教えに基づき、国づくり、人づくりを考えられました。和とは、人々の心のふれあい、助けあいを意味します。お互いに協力しあい、理解しあっていくことが、人間社会の中では一番貴いことだと太子は考えられたのでしょう。

 

 ところで和といえば、私たちは、丸い輪を連想します。その丸い輪が五つあれば、五輪のマーク、すなわちオリンピックです。この五つの輪は、地球上の五つの大陸をあらわしているとか、その五つの大陸に住む世界の人々が一同に集い、四年に一度のその技を競い合うのが近代オリンピックです。日本でも来年(2020年)、56年ぶりに東京で開催されます。この近代オリンピックが始まったのは、1896年、今からおよそ120年ほど前です。フランスのクーベルタン男爵の提唱によって開かれました。そしてその基本精神が「勝つことよりも参加することに意義がある」といのうは、誰もがよく知っていることです。ところが、近年、この基本精神がグラついているような気がします。もちろん参加する以上、勝ちたいのが選手の本音でしょう。しかしスポーツマンシップを忘れては、せっかくのオリンピックも世界紛争の火種になってしまいます。そこで、こんな話をしてみたいのです。

 

 ある幼稚園での運動会の徒競走でのことです。ヨーイドンでスタートした子供たちは一斉に駆け出しました。ところがコースの途中まで来た時、みんなが突然立ち止まってしまったのです。子供たちの親は「何してるの、早く早く」とせきたてました。その時、一人の男の子が、逆コースに走りはじめました。そして、グランドに落ちている靴を拾うと、みんなのところに戻っていったのです。待っていたみんなは、その中で泣いている女の子に靴をはかせると、手をつないで、元気よくゴールイン。事情がのみこめた大人たちは、大きな拍手で子供たちを迎えました。園長先生は、とっても嬉しそうです。「お父さん、お母さん、あなた方の子供さんは、こんなにも素晴らしいのです。どうか、この心をどんどん伸ばしてあげて下さい。これこそわが幼稚園のオリンピック精神です」と挨拶しました。平和の和の字は「なごやか」とも読みます。五つの輪がつなぎあっている五輪のマーク。それは仏さまの教えにも通じる和の精神をあらわしているともいえるでしょう。