いつの時代にも、物事の幸運・不運は、その組織を預かるリーダー、いわば、トップにある人の判断次第だといわれます。お寺という組織のトップ、住職である私は、早や就任して以来、20年という歳月が経ちました。

 

 その間、いろんな経験をさせてもらいましたが、難しい問題が起こると、決まっていわれるのは、「ご住職、ここは、あなたの判断が大切です。お任せしますからね」という言葉です。任せてもらうのは嬉しいことですが、私の判断で、これからのお寺の行く末が決まるかと思うと、その判断にとっても悩みます。そんな時、偶然目にした新聞記事があるので、ご紹介しましょう。

 

 それは、昭和29年(1954)、遠く北海道と本州の間にある津軽海峡で起こった悲しい事故のことです。当時の私は、5歳ですから、そんな出来事があったなんてことは、記憶の中には、ほとんどありませんでした。

 

 事故が起こったのは、その年の9月24日、北海道の函館を出航した連絡船の洞爺丸が、乗客・乗員合わせて1337人のうち、死者・行方不明ともに1139人もの犠牲者を出したといいます。

 

 その日、洞爺丸の船長は、この地方を襲った台風の動きを見て、「もう大丈夫だ」と函館の港を出航したのだとか。ところが、その読みははずれ、出航後間もなく、その沖合いで、緊急避難し停舶したものの、風速40メートル以上の暴風は荒れ狂い、とうとう船は転覆し、史上稀にみる大惨劇になったというのです。

 

 ところが、その日、青森から函館に向かうはずだった連絡船に、羊蹄丸という船がありました。同じような時刻に出航する予定だったのですが、羊蹄丸の船長は、出航ではなく停舶を命じたのです。

 

 台風は通り過ぎたという情報は、この船にも入っていました。でも、船長は、ゴーサインを出しませんでした。その命令に当然のことながら、先を急ぐ乗客たちは、ブーブーと不満の声を上げたそうです。その時、船長は「テケミする」と発言し、絶対に出航しなかったのです。

 

 「テケミ」とは聞き慣れない言葉ですが、それは、天の気配を見るという言葉の略語なのだとか。

 

 自分の今までの経験から、自分が納得できる空の状況を知るまでは出航しないと決心した羊蹄丸の船長。この二人の船長の判断の違いが、この日の幸・不運の分かれ道になったというのです。

 

 洞爺丸の船長を非難する気はありません。でも、非難されながらも、自らの信ずべき道を選択した羊蹄丸の船長に、住職としての進むべき道を教えられた気がしました。

 

 なんといっても、私たちの信じる法華経は大乗の教え。檀家さんや信者さんを乗せた大きな船という意味があるのですから。