近頃、レコードが見直されています。音質がいいといわれるデジタル信号のCDに席巻されたアナログのレコードに再びスポットがあたっているのは、アナログ時代に生まれた私にもうれしい出来事です。

 

 ところで、デジタルはテレビの世界にも変革をもたらしました。お檀家さんにお詣りに伺っても昔の型のテレビはありません。昔のテレビは、幅の厚いどっしりした感じのものでしたが、今や幅は薄くなり、画面も広くなっています。その理由は、テレビがブラウン管から液晶タイプへと変わってきたからでしょう。おまけに、放送電波も、アナログ放送からすべてデジタル放送に移行し、ハイビジョン、4K、8Kと画像も飛躍的に綺麗になりました。

 

 そんな折、私は、ある檀家のお爺さんとの出来事を思い出しました。「お上人、アナログかカタログか知らんが、電機屋が持ってきた新しいテレビに替えたら、よう映ります。店員さんが、ジ(痔)が出たらよくなるといっていましたけどな」と、最初はお爺さんの言葉の意味が分かりませんでした。

 

 しかしよく聞いてみると、お爺さんは、デジタルをジデタルと聞き間違えていたのです。私たちでも、次々に出て来る横文字の言葉の意味がよく分かりません。分からなくても、時代の移り変わりには対応していくしかないと思っていた時、面白い出来事を新聞でみつけました。

 

 それは、今の子供たちは、時間を知るのにアナログ時計を見ても、よくわからない子供が増えているという記事でした。アナログ時計というのは、大きな針と小さな針の二つがある時計のことです。大人の人なら、それが普通の時間を表す時計だということは常識ですよね。でも、今の子供たちにいわせれば、「なんで、そんな面倒くさい見方をするの、数字で表したらすぐに時間なんてわかるじゃん」と反発するのだそうです。

 

 そんな時間の表し方を、デジタル方式といいます。街角で見る時計も、テレビ画面に表示される時間も、この方式が多くなっていますから、いずれは、テレビと同じでアナログ形はなくなるのかもしれません。

 

 そんな話をお爺さんにすると、お爺さんは「それはいかん。子供たちが物を考えなくなる」と怒り出しました。「確かに数字だけ見て時間が分かるなら、それが一番便利じゃろう。しかし、大昔の人は数字をしらなくても、お日さまの動きで時間を判断できた。そこから生まれたのが地面に棒を立てて、影の動きで時間を判断する日時計。それに砂をビンにつめた砂時計など。昔は、自然から時間を学んだものですぞ」といったのでした。

 

 そういわれて、現代の文明が抱えている大きな落とし穴に気づかされました。なにもかも、数字で判別しとうとしては、これからの人間の脳みそは、どんどんしわが少なくなるのではないでしょうか。お爺さんはいいました。「年寄りの顔のしわもちゃんと歴史が刻まれているんですぞ」と。