皆さん、お仏壇のご先祖様のお位牌に記されている年齢は、数え年だということはご存知でしたか。満年齢に慣れてしまっている現代人は、時として、数え年に違和感を感じることがあるのではないでしょうか。

 

 いつだったか、お葬式で亡くなられたお爺さんのお位牌の年を見て、お孫さんが「年が2つも多くなっている。おかしいよ」と抗議したことがありました。年の初めの頃のお葬式だったし、そのお爺さんの誕生日は、年の終わり頃でした。お孫さんが「おかしい」というのも無理ありません。

 

それでも、お位牌に数え年を記すのは、仏教の伝統的な慣わしです。どう説明しようかと考えました。「坊やね、それはお爺ちゃんが、お母さんのお腹に入っていた時から、年を数えるからだよ」と私がいうと、「ふうん」と肯いたお孫さん。「でも、それなら1つ年が増えるだけじゃないの」という言葉に私はギクッとしました。確かにその通りなのです。「これは困ったな」と思っていると、亡くなったお爺ちゃんの連れあいであるお婆ちゃんが、「あのね、年はね、お正月に神さまや仏さまが、その年に生まれる予定の人に、みんな仲良く1つ下さるんだよ。だから、お爺ちゃんの生まれた年から数えてごらん。お位牌の年になるから」といって、お孫さんと一緒に指を折り始めました。

 

 そうなんです。昔の日本では、年が明け1月1日になると、誰もが同時に年をとったものなんです。満年齢が、今まで生きた年数を表すのなら、数え年は、これからスタートする年を意味しているといってもいいでしょう。「じゃあ、このお位牌の年は、お爺ちゃんがあの世に行く年なんだね。だから2つもプレゼントしてくれたんだ」とお孫さんがいい、まわりの皆は微笑みました。その答えが、正解かどうかはともかくとして、私は嬉しくなりました。それは、お孫さんがお葬式を人生の終わりではなく、次の世の出発の日だと感じてくれたような気がしたからです。

 

 満年齢と数え年と、どちらが合理的かという話は、ここでは止めておきましょう。もし、お位牌に満年齢を書くとしたら、何歳と何ヶ月、あるいは何日と書かなければならなくなります。

 

 生きている時は、少しでも若く見せようとサバを読みますが、死んで行く時には少し多めにサバを読んでもいいんじゃないですか。どのみち、1つでも多く長生きしたいと願っているのが、私たち凡夫の願いなのですから。