お酒は、飲むと正気を失うことがあります。千利休の言葉にも「人、酒を飲み、酒、酒を飲み、酒、人を飲む」とあるように、せっかく楽しみで飲んだ酒も度が過ぎれば、大きな過ちの原因ともなります。その為か、お釈迦さまは仏教徒の戒めの1つとして〈不飲酒戒〉すなわち、「お酒を飲んではならない」と定めています。

 

 ある日のことです。お釈迦さまが、お弟子を連れて町に出かけられた時のこと、向こうから3人の男たちが大声を上げたり、歌をうたったりしながら千鳥足でやってきます。かなり酔っ払っているようです。ところが、そのうちの1人がお釈迦さまの姿に気づき、あわてて草むらの中に逃げました。それを見て、もう1人の男も逃げようとしましたが間に合いません。彼は仕方なく、その場に座り込み、自分の顔をピシャピシャ叩いて酔いをさまそうとしました。でも、残りの1人は何を思ったのか、その場にゴロリと横になり「自分の金で飲んだ酒だ。何が悪い」とふてくされました。その男へ近づかれたお釈迦さまは「そなたは、今、楽しいのか」と声をかけられました。「言うまでもない。嫌なことを全部忘れて、こんな気持ちのいいことはない」と男は答えます。「でも酔いからさめれば又、同じ苦しみが訪れるであろう」そう問いかけるお釈迦さまに「その時は、又飲めばいいさ」と男も頑固です。「それはごまかしに他ならない。ごまかしの後に訪れるのは、更に大いなる苦しみである。草むらに隠れた男には、まだ自分を取り戻す力があり、座りこんだ男には自分を恥じる心がある。しかし、そなたは今、自分を失おうとしている。自分を失った者の墜ちるところを私は地獄と呼ぶ。そなたは地獄を住みかと欲するであろうか」

 

 この言葉に良いが醒めたのか、この男は「では苦しみを逃れる道は、なんですか」と真顔で聞きました。「それは自分の心への問いかけである。反省のない者には幸福の扉は開かれはしない」

 

 この日以来、この男はプッツリ酒を止めたといいます。文明が発達すればするほど、アルコールの消費量が増えるといいますが、それだけにストレスがたまり、自分をごまかす人が増えているのではないでしょうか。たまにはお酒抜きで自分の心を洗い直してもらいたいものです。