令和8年7月28日午後4時27分、スマホから突然アラームが鳴り響き、数秒後には、机につかまらないと立っておれない程の揺れが襲ってきました。慌ててテレビをつけると、熊本八代付近を震源とする震度7の地震が発生したとの報道。熊本市内に設置してあるライブカメラからは再建中の熊本城から土煙が上がっている映像が映し出されています。

 

 10年前の大地震から、やっと復興を遂げようとしている最中の再度の地震。各地の被害が報道されるたびに、被災された方々のお気持ちを想像するに、災害の恐ろしさを考えずにはおられません。

 

 仏教では、地震や台風・洪水などの災害は人間がさけられない様々な「苦しみ」のひとつだと捉えています。避けられない苦しみであるならば、その苦しみにどう向き合い乗り越えていくかの、そのすべを考えなければなりません。

 

 ここで思い出されるのは、昭和28(1953)年6月、北部九州を襲った大洪水の災害です。北部九州に停滞した梅雨前線によって豪雨が引き起こされ、本州と九州をつなぐ関門鉄道トンネルにも濁流が流れ込み、3週間にも渡って不通になるというものでした。

 

 私が住んでいる旧八幡市も510mmという記録的な大雨が降り、お寺の裏山が崩れ、近くを流れる平野川が氾濫し、下流の小学校や八幡製鉄所に大きな損害をもたらし、多くの尊い命が奪われるという大惨事になったのです。当時私は4才でしたが、父の決断でお寺の本堂を開放、被災された方々を収容し、お檀家さんを動員して、炊き出しや身の回りのお世話をしている様子をおぼろげながらに覚えています。後日、父から「被災者の皆さんが笑顔になってくれて、疲れや苦労も吹き飛んだ」との話をきかせてくれました。幼いながらも、父の取った行動に、避けられない「苦しみ」に対する、仏教者の1つの答えが示されていると思ったのでした。

 

 私も今回の地震でお亡くなりになられた尊い命にご供養を捧げながら、お盆を迎えることに致します。