ある駅のポスターに、こんな標語が書かれているのを目にしました。「借りた傘、雨が止んだら邪魔になる」。これを見て、私は思わずドキっとしてしまったのです。というのは、お寺の傘立てには、檀家さんから借りてきた傘が、そのままに置き忘れられていることを思い出したからです。

 

 あの時は、本当にありがたいと思って借りたのに、いつの間にかほったらかしになっている傘のことを思うと、申し訳ないという気持ちになりました。

 

 それから何日か経った後でしょうか。近くのホテルで小学生の合唱コンサートがあり、たまたま耳にした童謡に、♪雨、あめ、降れふれ、母さんが蛇の目でお迎え嬉しいな♪という曲があったのです。

 

 私は幼い時の自分を思い浮かべながら、この曲を聞いていました。でも、この歌を唄っている子供たちは、「蛇の目」という意味が分かって唄っているのかなとも思ったのです。今は当たり前になっている洋傘のことを昔は、コウモリ傘といっていました。それは傘を広げた状態が、コウモリが羽を広げた姿に似ているからでしょう。それに対して、油紙で作られた昔ながらの傘を蛇の目といったのはなぜでしょうか。

 

 私は辞書を開いてみました。すると、こう説明してあったのです。和傘の多くは、傘の中心となる石突(いしづき)を基にして、中は白くし、外側のふちを黒く塗っていたので、それがあたかも蛇の目のように見えることから、その名がついたと説明されていました。この年になって、なるほどな とその名の由来に納得した私です。

 

 でも、その私が納得できないような話を、つい最近聞きました。それは学校では、相々傘を禁じているという話です。その理由は、傘を持っていない子を気の毒に思った子が、一つの傘に二人して帰ったら、その子が風邪を引いてしまったので、母親が学校にネジ込んでいったからというのです。

 

「天気予報を聞けば、傘を持ってくるのが当然なのに、持って来ないような子に同情する必要はない」とその母親は学校に抗議したのだとか。あまりにもナンセンスな考えに腹が立ちましたが、学校側は親から、そんな抗議がでないようにと以後、子供たちに相々傘をやめるようにと指導したというのです。そんな不人情な生き方を教えるのを、果たして指導というのでしょうか。私は悲しくなってしまいました。

 

たとえ、貸した傘が忘れられたとしても、雨が降る時、困っている人に、なんとか貸してあげたいという、昔ながらの気持ちを、私たちは忘れてはならないのではないでしょうか。