私が若い頃の話です。お坊さんのくせに寝ぼすけで、朝のお勤めが苦手でした。その日も朝のお勤めをサボる始末です。本堂からは親爺のお経の声が聞こえてきます。「起きなければ」と思いながら、反面「もう少し寝ていよう」という悪い心が起こってきて、とうとう昼近くまで寝てしまいます。そして頭がハッキリしてくると「悪い事をした」と反省し「明日こそは親爺より早く起きよう」と決心するのです。しかし、次の朝も又お勤めをサボってしまいました。こうなると罪悪感が薄くなり居直った考えをします。「親爺が元気なうちは俺がサボったっていいや」、すると三日目ぐらいには必ず親爺の雷が落ちます。「お前は坊主だろうが、朝のお勤めに出なくてどうする。近頃の若い者はだらしがない」こう叱られて「あ、俺は駄目だな。しっかりしなくっちゃ」と思い直すのです。

“トムソーヤの冒険”の作者のマークトゥエインにこんなエピソードが残っています。

 ある朝トゥエインが出掛けようとして召使いに靴を磨くように命じました。ところが召使いは「旦那さま、今日は雨が降っていますから磨いてもすぐ汚れますよ」と言ったのです。しかたなしにトゥエインは汚れた靴のまま出掛けましたが、腹の中ではムッとしていました。その日のお昼時、召使いはお腹がすいたので台所で食事をしようと思いました。しかしテーブルの上にはなにもありません。そのかわり召使いあてに一通の手紙が置いてありました。手紙には「今、昼ご飯を食べても、どうせ又お腹がすくのだから、食べる必要はないだろう」と書いてあったのです。これを読んだ召使いは朝方主人に言ったことを後悔したのでした。このトゥエインのユーモアある教訓を読んだ時、私は親爺に叱られる自分を思い出しました。私たちは自分が怠けたくなると、なんとか屁理屈をつけ、いつも「そんな事を今する必要がない」と自分をごまかすのです。そんな時には必ず誰かにゴツンとやられ、反省させられます。心も靴と同じように磨こうとしなければ泥まみれになってしまうものなのです。