同じ日に、結婚式とお葬式の両方に出席しなければならなくなったという体験は、みなさんにはあまりないと思います。あなたは、そんな時、どうしますか。

 

 一方では「お目出とうございます」とお祝いをいい、もう一方では「此の度は、なんともご愁傷さまです」とお悔やみをいわなければなりません。人生、嬉しいこともあれば、悲しいこともあるとは分かっていても、同じ日にとなれば思いは複雑です。

 

 そんな体験を先日、私はさせられました。お葬式の方は、お坊さんですから、いつ何時あったとしても不思議ではありませんが、ちょうどその日は知り合いのお寺の娘さんの結婚式があり、私は仲人を引き受けていたのです。

 

 仲人ともなれば、いくらお葬式があるからといっても結婚式に出ないわけにはいきません。無理をいって午前中の早い時間にお葬式をしてもらうようお願いしました。

 

 さて当日のこと、空は遠くまで澄み渡る秋晴れでした。それとは反対に、私の心はいささか憂うつです。それは、亡くなった方が23歳の娘さんだったからです。葬儀の会場には別れを惜しむ人たちが大勢集まっていました。祭壇の中央には成人式の日に撮影したという振り袖姿の笑顔の娘さんの写真が飾られています。私は思いました。「私の人生の半分も生きていないのだな」と。出棺の時、娘さんのお父さんが、そんな切ない思いを訴えるかのように、涙ながらに挨拶しました。

 

 「お見送りいただきましてありがとうございます。ただ親として思いが残りますのは、娘の花嫁姿をこの目に見たかったということでございます」。

 

 その言葉を後にしながら、私はタクシーで結婚式場へと急いだのです。式場には、それまでと打って変わった雰囲気が漂っていました。参加した人々から祝福される新郎新婦。正直な話、私は自分の気持ちを切り換えるのに苦労しました。横に立っている家内が、そんな私を見ながら、「あなた、しっかりしてね」とサインを送っているのが分かりました。

 

 そしてお祝いの宴もラストになった時、両家を代表して新婦の父である和尚さんがこう述べられたのです。「娘が嫁ぐというのは、親元を離れて巣立つということです。嬉しくもありますが、悲しくもあります」そう述べる親の顔には、いく筋もの涙が流れていました。

 

 私はその時、お葬式で涙を流したお父さんの顔を思い出したのです。そして、「うれしきにも涙、つらきにも涙なり。涙は善悪に通ずるものなり」という日蓮聖人のお言葉をかみしめていたのでした。